気が付けばアメリカで大学生
きっかけは母の一声
昨日書いたブログ記事の中で、私が留学した理由を端的に書いた。
何度も書くようなことではないので、申し訳ないけれども前の記事を参考にしてほしい。
人生初めての挫折で留学することになってしまったわけで、だから私は自分のことを
『矛盾留学生』
と呼ぶ。
アメリカに留学して出会った日本人の友人たちは本当に海外が大好きで留学してきた人がほとんどだった。私はその中でいつも後ろめたさを感じていた。
「なんで留学したの?」
何度となく受けたその質問が大嫌いだった。最近まで自分の過去と向き合うことがどうしてもできなかったのだ。
私が志望大学に落ちて、その事実が受け止めきれず文字通り途方にくれていた時見かねた母が穏やかに私に一声かけた。
「一層のこと留学してきたら?動物学ならアメリカでも発展してるっていうじゃない?」
そう言って、ある専門学校のパンフを差し出してきた。その学校には1年制の国際留学科というものがあった。日本で留学の準備を1年間したのち、その学校で取った単位をアメリカの大学に移行できるというもの。さらに母の見つけてきた学校の国際留学科にはアニマルサイエンス専攻というクラスが記載されていた。
立ち止まることも振り返ることもしたくなかった私は「ここに行く。アメリカの大学でトップクラスの成績で卒業して見返してやる。」と答えた。
なんとも後先を考えない発言だ考えだ、と今も思う。しかし、この時斜め上の道を提示し、支えてくれた母には本当に感謝している。そのおかげで今の自分がいると言っても過言ではない。
そんなこんなで締め切りギリギリにその専門学校に申し込み、国際留学科に入学した。
そこで驚いたのは、アニマルサイエンス専攻に私に一人しかいなかったことだった。
というのも、私が入らなければその年のアニマルサイエンスクラスは開かれなかったのだという。その情報を聞いた元々アニマルサイエンス志望だった女の子が一人のちに加わり二人になったのは私の中では大きかった。
あっという間にアメリカの大学へ
その日本での準備期間ともいえる1年はあっという間だった。あっという間だったがすごく充実していたし、たくさんの良き友人に恵まれた。今も連絡を取り合う仲の人が多くいる。とても幸運なことだ。今思えばこの一年間は実家を離れて一人で住む心の準備にもなった。
そして、気が付くと人生初の国際線に乗っており、アメリカのサンフランシスコ空港に初上陸していた。あの時の浮きだった気持ちは今でも鮮明に思いだせる。飛行機の中でどんどん離れていく母国を感じながら消灯した瞬間に密かに泣いたのも今ではいい思い出だ。
私は空港に迎えに来てくれていたアメリカ人のドライバーに連れられて、カリフォルニア州のとある大学に向かった。そうして何とか無事にアメリカで大学生になることができたのだった。
私の場合、初めにCollege(短大・二年制大学)に編入し、のちにUniversity(四年制大学)に編入し卒業した。理由は二つ。
1. Collegeが私の通っていた専門学校の提携校であったから
2. 二年制から四年制に編入した方がコストが安くつくから
この特定のCollegeを選んだのにも一応理由があった。学費が安価で尚且つ私の専攻であるアニマルサイエンスが比較的有名だったからだ。小さいながら大学には牧場も付いていた。
編入方法や必要書類、やり方などはまた別の記事に記していくことにして今日のところは終わる。前回の記事と今回の記事で自分については紹介できた気がする。
長々にはなりましたが、これらの前置きは書いておくべきだと思い記しました。
お読みいただきありがとうございました!
これからはできるだけおもしろく為になる話を持ってきますので今後ともよろしくお願いします。
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