矛盾留学生、来音の記録〜動物科学科の先〜

アメリカに4年間正規留学し、動物科学を学んできた来音が知識を生かして就職するまでとした後の日々の記録。

【アメリカ正規留学③】いよいよアメリカの大学に進学!CollegeとUniversityの違いは??

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おひさしぶりです。来音です。

 

この前のブログでは、一番初めのホームステイについて振り返ってみました。

私はその最初のホームステイ先からいよいよ大学に赴くことになります。

 

今日はその時に起こった出来事についてまとめていきます。

 

Collegeか?Universityか?

flat lay photography of blue backpack beside book and silver MacBook

初めに通い始めたのはCollegeからだった。

留学経験がない方は、そもそもCollegeとUniversityの違いが何かよくわからない人が多いと思うので、その違いから説明しておく。

 

簡単に言うと、Collegeが日本でいう2年制短期大学Universityが4年制大学のことである。私はアメリカの大学に留学すると決めたと同時にCollegeのみで終わらせる気は全くなかった。Collegeを卒業しただけでは学歴として物足りない。

 

日本に帰ってきてしまえば、アメリカの大学を卒業したといってもただの短大卒の資格しかないことになる。確かに、アメリカで2年間生き抜いたというのはとても誇らしいことにはなるが、履歴書的には短大卒。

 

それに、私はもともと大学院まで行きたかったので、短大卒で終わらせるなんて考えにはなかったのだ。

 

それなのにどうして私がCollegeに進学したのか。

それは主に「学費面」を考えての決断だった。

 

UniversityとCollegeでは学費が大きく異なってくる。

私が通っていた大学で考えてみると、Collegeでは1ユニットあたり約260ドルなのに対してUniversityでは1ユニットあたり約410ドルとなっている。

 

そのため、4年間全てをUniversityで過ごすよりも初めの2年間をCollegeで過ごして途中でUniversityに編入して4年制大学を卒業したほうがいくらか安くつくのだ。

 

そういう意味もあって初めはCollegeに行くことにした。

カリフォルニアの田舎にあるCollegeだったが、私にとって始まりの場所だった。

 

 

ホームステイ先から大学まで向かってみる

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よく覚えているかと言われれば、出発の瞬間はよく覚えていない。

ホームステイ先から大学までは近く、自転車を借りて青空の下を出発したと思う。

 

カリフォルニアの夏はカラっとしていて、日差しが強い。

肌がじりじりと焼ける感覚があるのだが、湿気がないので私は好きだった。

 

特に迷った覚えもないので、無事にまっすぐ到着したんだと思う。

ただ、はじめから小さいけれど忘れられないハプニングがあった。

 

私は自転車を意気揚々と漕いでいったわけだが、見つからない。

そう、自転車置き場がない

 

私が想像していた自転車置き場は、高校にあったような屋根付きのいかにも自転車置き場なスペースだった。そんなものいくら見渡しても見つからなかった。

 

自転車をもってうろうろしている不審な日本人になってしまった。

埒があかないので、おそるおそる近くを通りかかった白人の女性に声をかける。

自転車置き場ってどこですか?ってなんて言ったら、、と考える暇もなく私の口をついたのは"Excuse me.  Where is the parking for bikes?"だった。

 

今考えるとthe parking for bikesってなんやねんだけど、私がホームステイ先の人以外の現地人と初めて話した言葉だった。意味は伝わるから上出来だと思った。

 

これよ!こういうポールにつなぐのよ。

とその人は教えてくれた。

 

わたしは唖然とした。

え?これにつなぐの?てかここ自転車置き場なの?

 

そう思いながらもお礼を述べると、その人は去っていった。

まだ早い時間だったのか周りに自転車もなく、私はそのポールを見つめた。

 

それがこれだ。

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と言いたいところだが、その時に私が目の当たりにしたのはこれではなく、もっと「え?これチャリ置き?」というようなM字型のポールだった。

 

とりあえず盗まれないようにこういったものに自転車本体をU字型のカギをつけておくのが常識らしかった。

 

自転車本体にカギを付けておかないと、普通に盗まれる。

どういうことかというと、タイヤにU字鍵をつけておくと、その繋いでいるタイヤ以外の本体全てを盗まれる。

 

タイヤだけになっている自転車をよく見かけていた。なんて物騒なんだ。

 

ちなみに、スケートボードはこういった場所につないでおく。

ちなみにf:id:coco3123:20220203232853j:plain

ちなみに、もっとこのパーキングに関して詳しく書いている私の過去ブログがあったので参照に!

ameblo.jp

 

クラス選びのためにPCでテストを受けさせられる

black swivel chair beside rectangular brown wooden desk

初めに訪れた場所は確かInternational student officeのようなところだった気がする。そのあと、ある建物に移動して学力テストのようなものをPC上で受けた。

 

英語、数学のテストで、それをもとに初めに取るクラスを選ぶ。

もし英語の力が不十分だと考えられれば、正規のクラス(現地の生徒と受けるクラス)の前にESLのクラスを取らなくてはいけなかった。

 

多くの日本人留学生がESLのクラスから取る中、話すことはまったくできないが文法や長文読解には長けていたいわゆる「日本の英語教育では優秀だった」私はいきなり現地の生徒が受けるクラスを取ることになった。

 

数学に関しても、高校2年生レベルまでの数学だったので難なくしっかりユニットとして数えられるクラスに入ることができた。

 

つまり、いきなり全く日本人がいないクラスにいきなり放り込まれた

まぁ本望ではあったが、少し心配だったのは確かだ。

 

インターナショナルオフィスには日本人も見受けられたが、何を話していいか分からなかったのとせっかくアメリカに来たので日本人とあまりつるみたくなかったのでその時点では親しい友達はできなかった。

 

そんな感じでスタート!となりそうだったのだが、大学に到着したのが始業式の直前だったことで私はいきなり窮地に立たされる。

 

一学期目に取るはずだったクラスがほぼ満席で、思うように登録できない

どうやら大学到着前にいくらかクラスを登録しておかなくてはいけなかったらしかったのだが、私はそのことを全く知らなかったのだ。笑

 

これでは予想していた編入時期に間に合わないということで、必死に空いているクラスでかつ卒業単位に必要なクラスを探し出し、何とか最低数の12単位登録することができた。

 

こんな感じでバタバタと私の大学生活が幕開けしたのだった。

 

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【アメリカ正規留学②】ホームステイ開始!実際のホームステイってどんな感じ?ホストファミリーとの関係は良好?

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こんにちは、来音です。

なんだか急に寒くなってきましたね!

つい最近まで昼間は夏日だったのに、今日なんて夜は肌寒いどころか冬の空気を感じました。

 

さて、前回のブログではサンフランシスコ空港に1人で降り立った時のことを書きました。

今回はそこから初めてのホームステイ先での出来事を振り返りたいと思います。

 

まず、ホームステイとは何かについてご紹介します。

 

ホームステイとは?

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ホームステイとは、海外からの留学生が現地の家庭に住ませてもらうことを言います。

日本で言う下宿のようなものでしょうか。

 

私は留学生活で3度違う家庭にお世話になったのですが、基本的には自分の部屋が一室与えられて好きなように使うことができます。

 

そのほかで言うと、アメリカの一般家庭にはシャワールームが少なくても2つはあるのでその1つを使わせてもらえます。

もちろん自分の洗面用品を置いておくことも可能です。

 

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冷蔵庫も基本的には自由に使えますが、ホームステイ先によっては「冷蔵庫のこの段は好きに使っていいよ」と指示を受ける場合もあります。中には、冷蔵庫にあるものを好きに食べてもいいと言ってくれる優しいホストファミリーもいます。

 

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日本とは違い、アメリカ人は基本的にとてもフレンドリーです。

よく洋画で、家に遊びにきた友達が勝手に冷蔵庫を開けてジューズを飲み始めるといったシーンを見かけますが、あれは事実です。

 

日本だと「あなた何してるの!?」という非常識な行動として受け取られるかと思いますが、アメリカ人は心を許している友人が自分の家で家族と同様の行為をすることを認めているみたいなのです。

 

それを顕著に表している言葉があります。

Make yourself at home!

Make yourself comfortable!

聞いたことがある人も多いのではないかと思います。

 

自分の家のようにくつろいでねという意味になるのですが、このくつろぐというのは本当にくつろいじゃってオッケーという意味になります。

 

冷蔵庫から何かとってもいいし、テレビを見てもいいし机の上のものを食べてもいいよということみたいなのです。

 

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ホームステイをする時点でホストファミリーはその学生のことを本当の家族のように思って接してくれます。

 

もちろんあなたはホームステイ先を自分の家のようの思っていいし、好きなように家で過ごしていいのです。

 

日本人は初め気を遣ってしまいがちですが、逆にオープンになってしまった方がホームステイを楽しめます。

 

ホストファミリーは留学生を受け入れてくれるような心優しい人たちなので、外国人にとても寛容です。

 

日本の文化を知りたいと思ってくれている人も多い印象なので、自分からたくさん話しかけてコミュニケーションを取った方が楽しいホームステイ経験になります。

 

「なんでここまでカタコトの自分なんかに優しくしてくれるんだろう」と感動することもしばしばありました。

 

人間的にも英語力的にも成長が望めるのがホームステイだと考えています。

 

「他人と住むなんてなんだかリラックスできなさそうだし、自分の時間が取れなさそう」と考えるのではなく、せっかく異なる文化に触れ合う機会のある留学経験なので、現地の人と住み、文化の違いを肌で学ぶのも人生の中では貴重な経験となります。

 

私はホームステイしてみて、自分自身学ぶことがとても多かったので全く後悔していません。

むしろ今思い出してもあれほどいい経験はないだろうと思っています。

 

 

初めてのホームステイ先での出来事

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初めてのホームステイ先に着いた時にはもう疲弊しまくっていた。

ついたのは日が暮れてからだった気がする。

 

怪しんでいたドライバーのおじさんに無事に届けられた先は日本では考えられないくらい大きな家だった。

 

ちょっと待ってて

 

確かそう言ったんだと思う。おじさんは私を車に置いて、その家のベルを鳴らした。

 

中からは小柄な白髪の女性が出てきた。一言二言2人は交わすと、戻ってきたおじさんは私の荷物を持ってその家の中に運んで行った。

 

私も後を続く。

 

よく来たわね!待っていたよ。疲れたでしょ?

 

多分そんな流れだった。女性は笑顔で迎え入れてくれた。

 

私はもう疲れ切っていたのと、目的地に着いて安堵していたこともあり

 

初めまして、来音と言います。

 

としか話せなかったような気がする。いや、そこまで話せたかも怪しいかも。

 

初めてのホームステイ先はおばあさん姉妹2人で住んでいる家だった。

 

加えて、私よりも先にホームステイしていた日本人の女の子がいた。

 

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その子は私より確か2、3ヶ月ほど先にアメリカに来ていたようだった。

もう英語ペラペラでただただ尊敬した。そんなに関わりはしなかった。

 

私にとってここがいわゆる1箇所目のホームステイ先となったのだがあと2つ後に体験することになる。

その理由は、本来行くはずだったホームステイ先のホストファミリーが旅行に出かけてしまい、帰ってくるまでの間一時的にこの家にお世話になったというところにある。

 

つまりこのおばあさん姉妹のところは一時的に一週間ほどだけホームステイするところだったのだ。

 

まず、着いたらもう夕食の時間だったのでご飯を用意してくれた。

 

しかも、私が日本人なことを見越してなんと白ごはんとお魚を出してくれた。

 

本当に涙が出そうなほど嬉しかったのだが、、

時差ぼけと緊張のせいでほとんど食べられなかった。

 

もともと緊張したり「食べ切れるかな…」などと考えたりすると食欲が減退するタイプの人間だ。

 

本当に今思い出しただけでも申し訳ないが、全部は食べきれなかったので明日の朝食に取っておいた。

 

その後、シャワーの出し方や家の案内をしてもらった。

 

ゆっくり話してもらったので半分くらいは確か理解できたけれど、全部を理解することができなかった。

 

もうもどかしくてもどかしくて、下に字幕出てこないかなとまで考えた。

 

無論そんなの出るはずもなく、私はほとんどをHAHAHAとYESだけで乗り切った。

 

その結果、ホストファミリーには

あの子Yesしか言わないわね。と言われたのが何故かとっても耳に残っている(笑)

 

全然聞き取れなかった英会話なのになんでそれだけはっきり聞き取れたのかわからないが、ものすごく恥ずかしかった。

 

そりゃそうも思われますよな。

 

何が英語得意だ、何にも言えないし何にも聞き取れないじゃないか。

 

アメリカに来て初めの夜はもちろんその時差ぼけで寝ることもできず、なんとかWiFiだけ聞き出して自分のスマホに繋いだ。

 

そしてやっと家族に連絡することができた。

 

「無事でよかった。連絡ないけん心配したよ。」

 

自分のことに精一杯で、ベッドに入るまで連絡もできなかったことを申し訳なく思った。

 

そりゃ心配もするはずだ。それと同時にスマホのことを考えてなかったことに気がつく。

 

WiFiがないと連絡が取れないという危機的状況。

 

寝られないからとりあえずよく使われる英会話のフレーズを必死に本で暗記した。

 

これってなんて言うんだろう、こう言いたい時はどういう表現が自然?

 

調べ出すと止まらなかった。現地に来てから勉強するなんて馬鹿すぎると自分に呆れた。

 

 

 

気がついたら明るくなっていたのは言うまでもない。

 

結局寝れずに朝がきた。幸い学校が始まるのは3日後とかそれくらいだったので、特に支障はなかった。

 

残していた昨夜の晩ごはんを食べて、次の日はホストファミリーとたくさん話してみた。

 

ゆっくりしか話せないし、自分の伝えたいことの半分も伝えられなかったがどこか距離が縮まったように感じた。

 

母が空港で渡してくれたアルバムをフル活用してまずは自分の地元について紹介してみた。

 

カタコトだったはずだが、ホストファミリーのおばあちゃん達は笑顔で興味深そうに聞いてくれた。

 

夜はホストファミリーと一緒に映画を見るのが習慣となった。おばあちゃん達はウエスタンの映画を好んで観ていたので、よく分からなかったが一緒に観ていた。

 

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私が心掛けていたことは、「自分の部屋には閉じこもらない」ということと「なるべくホストファミリーとコミュニケーションをとる」ということだった。

 

留学に行く前に「日本人は留学しても自分の部屋に閉じこもってしまうことが多い」というのをどこかで目にした。

 

そうすると、留学に来た意味が半減してしまう。それに私はなんだかんだ言って英語を話すことが面白くなっていた。

 

どうやったら伝わるんだろう、どうしたらもっと自分の気持ちを表せられるんだろう。

 

伝わった時は心から嬉しかったし、混乱してしまった時もホストファミリーは私が何を言おうとしているのか理解してくれようとした。

 

今も私はその時の気持ちが鮮やかに思い出せる。だから、私が外国人に日本であったときは同じような対応を必ずする。

 

初めから上手く話せなくてよかった。おかげで学ぶことがたくさんあった。

話せないもどかしさも伝わった時の嬉しさも、今では人生の宝物だ。

 

この初めのホームステイの3日後から初めて大学に行くこととなる。

そこからの話はまた次回に回そうと思う。

 

改めて思い出すと、心が温かくなるのと同時に「よく頑張ったなぁ」と当時の自分に言ってあげたくなった。

 

 

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【アメリカ正規留学①】初海外が正規留学!カリフォルニアのサンフランシスコ空港に到着

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こんにちは,来音です。

それでは前回約束した通り今日からの投稿は留学生活を少し振り返っていきたいと思います。

 

これから留学を考えている人はもちろん,留学までは行かなくてもコロナ禍で海外に行きたくても行けない人に少しでも他国に触れ合ってもらえるような楽しい記事にしていきます。

 

それでは,今日はまず私が留学に踏み切った経緯と実際にアメリカに向かう時の状況や心境をお話しします。

 

留学した経緯に関してはこのブログの一番初めの投稿にも書いています。

詳しく知りたい方はぜひ読んでみてください。

 

こちらです☟

アメリカ留学した理由と経緯 - 矛盾留学生、来音の記録〜動物科学科の先〜

 

 

留学した理由は挫折

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タイトルをみて分かる通り私はいわゆる「大学受験からの挫折」で留学した。

一番ダメなタイプの留学の仕方。

 

ネットなどで留学や大学受験などに関して調べてみると,日本の大学受験に失敗して留学してもろくなことがないと記されていることが多い。

 

何故なら,そんなふうに逃げるようにして日本を後にした学生は例え海外に出たとしても最後まで頑張ることができないと考えられているからだ。それも一理あるというかそう考えられてもおかしいことではない。

 

逃げるように留学しても夢もなければ頑張る気力さえなくなるのは当然。

 

しかし,私の場合はその点は当てはまらなかった。夢がないわけではなかったし、学びたいことも明確だったからだ。

 

「入りさえしたらその学校でトップになれるのに。どうして入れなかったんだ。

 

アメリカで獣医学を学んで必ず証明して見せる。海外で例え言葉が違っても優秀な成績で卒業してやる。」

 

と何故か燃えていた。というか合格できなかった自分にも高校まで優秀な成績をキープしてきた私を落とした大学にも腹が立っていた。

 

もっとも獣医学部自体は推薦でしか受けないという舐め腐った受験を経験したわけなのだが。

 

母には自信過剰すぎるとよく幼少期から注意されていた。案の定,こう泣きながら言った時も

「あんたのその自信過剰すぎるところもアメリカで少し削ってもらってきなさい」

とお叱りを受けた。

 

それでも,母は私が立ち止まらずに進んでくれることに内心安堵したところもあったのではないかと思う。

 

結局のところ,アメリカの大学でもオールAで無事首席で卒業できたので過剰すぎる自信は削られることがなかったのだが,まあその話はまた今度にしよう。

 

これがなんとも情けない,私が留学に踏み切った理由だ。

 

ここに書くのも恥ずかしいのだが,もう嘘をつくのにも疲れたので記録させてもらう。

 

 

どうやって留学したのか

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大学には合格するだろうと舐め腐っていたので,私立も滑り止めも受けていなかったしそれを注意してくれるメンターも私にはいなかった。

 

つまり,一回失敗するともう行くところがなく浪人するしかなかった。

 

そこにまさかの専門学校という選択肢が出てきた。

 

ただの専門学校なら行くつもりは全くなかった。

 

しかし,留学準備として1年間通いその後そこで取った単位をアメリカの大学に移行することができるという外語専門学校を締め切りギリギリで母が見つけてくれた。

 

「アメリカに行ってみるのはどう?やりたかった獣医学も学べるみたいよ」

 

なんていい母親なんだろう。

 

正直日本から出るなんて面倒くさかったし,海外なんか行ったこともなくて怖かった。

 

でも,立ち止まっているよりか幾分かましに思えた。それに幸い英語は大の得意だった。

 

あまり乗り気ではなかったが,このタイミングでギリギリ見つかるなんてしかも大学の学位が貰えて獣医学が学べるなんて行くしかないと思った。なんて浅はかな考え。

 

この時の私には「浪人する」という覚悟や選択肢がまるでなかった(笑)

よく考えるとぶっ飛んでいて非常に私らしい。

 

この選択で私の人生は大きく変わるのだが,今となっては何物にも変え難いかけがえのない経験になったことは間違いない。

 

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そこで大阪にある外語の専門学校に1年間通うことになったのだった。

 

基礎的なスピーキングやTOEFLを取るための文法の授業を受けた。

 

手続きや大学選択もその学校でサポートしてもらった。

寒いところは嫌で,学費もそんなにかけたくない。

なおかつ動物の勉強ができるところというこれまた浅すぎる条件で大学を探した。

 

在学中にTOEFLを3回受ける機会があったのだが,1回目で合格点を取ってしまいその点に関しては語れるほどの苦労をしなかった。

 

コツなどをできれば書きたいのだが,リスニングはほぼ聞き取れず寝ていたし,長文も大学のテキストから取り出したような難解なものであまり読めなかった記憶がある。

 

ただ文法だけはなんとなく得意だったのでそこで満点を取ってなんとか稼いでいたような気がする。

 

TOEFLの内容なども興味がある人がいればまた別記事に書いてみたい。

 

この在学中に困ったことが1つある。

周りは「留学したい!海外が大好き!」という子たちばかりで少し辛かった。

 

私は逃げ道として留学を選んでいたので申し訳なく感じていた。

 

「どうして留学しようと思ったの?」

と質問されることが今も度々あるのだが,本当に困る。

 

今は正直なことを言えることも増えたのだが,当時は周りに正直に話すことに気が引けた。

 

「動物学がアメリカだと有名で最先端の知識を学びたいと思ったから」なんて綺麗事をそれからかれこれ4年ほど口にしなくてはいけなかった。まぁ間違いではないのだが,本心でもない。

 

こんなふうに,私はギリギリで外語専門学校を見つけそこで手続きをサポートしてもらい,留学に至った。

 

因みに,その専門学校には国際留学科の中にも奇跡的にアニマルサイエンス学科というものがあったのが救いだった。

 

それにより,スムーズに留学が進んだところはある。

 

 

サンフランシスコ空港到着から始まった留学生活

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8月の終わり頃だっただろうか。とうとう出国の日が来た。

 

もちろん外語には同時期にカリフォルニアの大学に行く生徒はいたのだが,全くの同日の同時刻同フライトで行く人はいなかった。

 

羽田空港までは母が見送りに来てくれていた。

私は平気だという振る舞いをしていたのだが,内心とても心細かった。

 

この1年間この日を夢見て過ごしてきた学生生活だったが,当日になると1人で異国の地へ降り立つことに恐怖心を抱いていた。

 

空港のレストランで最後の食事を取った。

その時に母が2冊の手作りアルバムをプレゼントしてくれた。

 

1つは今までの思い出の写真と家族全員からのメッセージが入ったもの。

 

そしてもう1つは私の出身地の風景と京都に旅行に行った時の写真。

 

出身地の写真は私がこれから過ごすホストファミリーに私の育った場所がどういうところなのか紹介できるようにと作ってくれたものだった。

 

正直泣きそうだったのだが,それでは励ましてこの日まで支えてくれた母に心配をかけてしまうと思い,いつも通り

「全然平気だから。向こうでも楽勝でいい成績とってくるし心配せんで。そんなになよっちくないから!」

と告げて出国ゲートを後にした。

 

よく小説などで『もう後戻りはできない。振り返ってはいけないと感じた。』というような表現を目にするが,まさにそれだった。

 

きっと母は私が見えなくなるまで手を振ってくれている。

 

でも,いつまでも振り返ってしまっては気持ちを強く前へ進めることができないと思った。

 

背中を向けることで,安心させたかった。

 

自分なりにかっこよく去ったつもりだったのだが,後からその時の写真を見ると体の大きさに似合わないほどの大きなリュックサックを背負っている様子は新小学生がランドセルを背負っているようでなんとも滑稽だった。

 

そこからだ。もう崩壊。(笑)

まず10時間も飛行機に乗ったことがない。

 

飛び立ったのは良かったが,地面を機体が離れ斜めになって加速していく。

その瞬間に日本から徐々に離れていくのを身を以て感じ,不安も一気に増した。

 

今からいく場所には家族はもちろん知り合いも友達もいない。

 

言葉さえ違う。そんな場所に1人で行って本当に大丈夫なのか。

 

そのうちに機内の電気が消された。同時に涙があふれる。

 

あぁ,こんな思いするなら留学するなんて言わなければ良かった。

 

日本を離れて数十分でそんなことを思ったなんてせっかくこんな機会を与えてくれた家族には死んでも言えなかった。

 

アメリカへの距離の方が近くなるに従って,落ち着きを取り戻しすぐにケロッとして機内食を食べる性格で本当に良かったと思う。

 

サンフランシスコの現地気温がアナウンスされるころにはやる気に満ち溢れていたのだから我ながらなんて適応能力に優れているのだろうと感心した。

 

その気持ちも一瞬にして打ち消されてしまうのだが,飛行機を降りる時の足取りは軽やかなものだった。

 

 

いや,待って…今なんて言ったの?

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入国審査のいかつい検査官の質問はなんとかクリアした。

 

と言っても今考えると確実にカタコトだったと思う。

 

一度じゃ聞き取れなくて,

Excuse me?とかCould you say that again please?とか

いくらでも聞き方はあっただろうに

What?

と言ってしまい,注意されたのがものすごく鮮明に印象に残っている。

 

そんなのはまだまだ序の口で,ここからが本当の試練だったなんて当時の私は知る由もない。

 

サンフランシスコ空港の到着ロビーには,現地の人が迎えにきてくれている予定だった。

 

なんて名前のどんな人が迎えにきてくれるのかしっかり聞いておくべきだったことを反省している。

 

到着し,荷物を受け取り出てくると,たくさんパネルを持った人が立っていた。

 

自分の名前のパネルを持っている人がいるのかと目を凝らすのだが見当たらない。

 

戸惑ってウロウロしていると,日本人の現地スタッフが声をかけてくれた。

「お名前は?」

もうすでに日本語が恋しい気持ちに苛まれながらも自分の名前を言うと

「あー,さっき見たな。その人なら今トイレに行ったよ。すぐ戻ってくると思う。」

 

その日本人スタッフの言葉を信じて数分ロビーで待っているとフレンドリーな白人のおじさんが近寄ってきた。

Are you Raine?

ととりあえず名前を聞かれたのを記憶している。

 

イエスイエスと言いながら安堵してこっちと言われるがままにおじさんの跡をついていく。

 

その時におじさんがニコニコしながら色々話してくれたのだが,内容がまるでわからなかった。

 

あんなに得意だったはずの英語が何もわからないことに絶望した。

 

マクドナルドとハンバーガーという単語だけわかった気がする。それ以外何も,本当に理解できなかった。

 

そして,あんなホイホイ知らない人について行ったのも信じ難い。

 

私はおじさんの名前も聞かなかったし、本当に私の進学予定の大学から来ているのかも確認した覚えはない。

 

そのことを不安に思い始めたのは空港から車で1時間ほど走り出してからなのでそれほど動揺していたということだろうか。

 

まっすぐ向かっているのか道が本当に合っているのかもわからずただただ周りの景色に圧倒されていた。

 

森のような場所を走り始めた時は無事にたどり着くのか焦り始めた。

 

携帯電話もまだ使えない状況だった。最悪の場合も考えた。

 

途中ガソリンスタンドで給油したのだが、そこに併設されているコンビニでおじさんはクッキーとジュースを買ってきてくれた。

 

アメリカの、大きくて柔らかくてそしてとんでもなく甘いクッキーを食べたのは多分それが人生で初めて。

 

そのあと謎に車を乗り換えるという事態が発生したのだが、その理由はその時の私には尋ねる能力がなかったので永遠に不明のままである。

 

日が暮れる頃には、目的地のホームステイ先に到着していた。

 

途中疑って悪かったが、おじさんはただのいい人だった。

 

 

波乱万丈の幕開け

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そんなこんなで私の4年間に渡るアメリカでの留学生活が始まった。

 

私は最初の2年間をMercedというカリフォルニアの小さな田舎の街でホームステイをして過ごし、最後の2年間はそこから南に少し下ったところにあるFresnoという中都市で大学の寮に入って学生生活を送った。

 

その初めの2年間が私にとってものすごく濃い時間だったように思う。

 

勉学以外で学ぶことがとても多かった。日本以外で暮らしたことがなかったのでそれなりにカルチャーショックもあった。

 

でもいいのか悪いのかとにかく適応能力が高いので、戸惑いつつもすぐに納得して溶け込んだ。

 

そのため、ホームシックを感じたことはあまりない。

 

確かに日本食は恋しくなることもあったのだが、住んでしまえばそれなりに気に入った。

 

大変なこと8割楽しいこと2割くらいの生活だったはずなのに、今思い返すと美化されていることに驚く。

 

アメリカでの暮らしはまた次の記事に記すことにする。

 

次はホームステイ一発目にショックを受けたところから話すことにしよう。

 

 

 

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【アメリカ正規留学】留学生活を振り返ってみることにした

みなさんお久しぶりです。来音です。

 

結構時間が空いてしまったのですが、最近身の回りも落ち着いたのでまたブログを再開していきたいと思います。

私がまたブログを書こうと思った理由なのですが、主に2つあります。

 

1つ目は留学経験をこのまま眠らせておくのはもったいない気がしたから。

2つ目は自分を見つめ直そうと思ったから。

 

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1つ目の理由ですが、記憶ってどんどん薄くなっていくものだと思っています。

小さい頃に楽しかったことや感動したことだってたくさんあったはずですが、少しずつ薄れていって思い出すことが難しくなってしまう。

なんとなくこうだったかもと思っても思い出すヒントがなかったらそれがまるで夢の中だったのか現実だったのかさえ曖昧になっていってしまう気がするのです。思い出が美化されるのは決して悪いことではないかと思うのですが(笑)

 

文章にしてでも書き起こしておけばいつまでも鮮やかに思い出すことができるかもしれない。

 

それから、せっかくいい経験をさせてもらったのに活かせないなんて勿体無い。

私は最近、留学したことを無駄にしている感じがしていました。今就いている仕事だって直接留学したことが活かせるかと言われればそうでもない。大学に行っていれば誰もがなれる仕事です。

 

何より無駄になっている気がしていることが親にとてつもなく申し訳なかった。

本当はそのまま大学院にでも行ってさらに動物学や獣医学を極めて専門的知識をつけた方がいいのかもしれないと思い続けてきました。

そうすれば私がアメリカで学んできたことや経験が一番活かせるのではと。

 

でも、果たして本当に無駄になっているのか。そんなことはないと信じたい。

もし私が経験したことが今後留学したいと思っている人たちの道標やヒントになればと考えています。

その他にも、日本から出たことがない人がアメリカに興味を持って知っていただければそれって大きなことだと思います。

 

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人生って出会いだと思っています。

あの時あの人に出会ったから人生が変わっただとか、あの時にあの言葉に出会ったから視野が広がったとか。

綺麗事ではなくて、このような出来事は実際に日常生活の中で起こっていることだと思うのです。

 

誰かのきっかけになれたらそれは私の経験が活かせていることになるのではないかと考えるようになりました。

例え私のブログを読んでくださる方が少なかったとしても、その数少ない方に届けばそれで良い。

 

2つ目なのですが、私自身人生や生き方には非常に迷いながら生きています。

別に迷っていることが恥ずかしいことだとは感じていなくて、こういう山あり谷ありな生き方も私らしくていいのかななんて今は思っています。平坦な人生より随分面白いものだと自分には常に言い聞かせています。

何よりきっと普通の同い年の人よりも人生面で学んだことは多かった気がします。

 

ただ、柄にもなく自信が無くなったりなんでこんなことになってしまったんだろうと思ったりすることもあるものです。

そうなった時に人生で一番の出来事だった留学生活に乗り越えるためのヒントが隠されているような気がしています。

 

そこでもう一度自分を見つめ直す意味も込めて今まであったことや頑張ったことを書き残しておこうと思ったのです。

決してまっすぐ進んできたわけではないし、後悔することも多々あるのですがだからこそ書けることがあると何故か確信しています。

 

週に2日程度から無理なく更新してみようと思っていますので、読んでいただければ幸いです。

もし余裕がありそうなら更新率を上げていこうと思います!

 

今後ともどうぞよろしくお願いします。

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【来音の戯言】趣味を見つけることで人生に色をつける

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お久しぶりです、来音です。

かなり間が空いてしまったのですが、

久しぶりに近況を踏まえてブログを書こうかと思います。

 

 

社会人1年目がコロナとともに幕開けし、今年の4月で2年目に突入しました。

コロナの状況は相変わらずですが、私自身の状況はかなり成長しました。

 

 

1年が経ち、大学時代留学していたため貯金もほぼほぼ0だった私にも多少お金に余裕ができました。

そこで、今までしてみたかったことにチャレンジすることにしたのです。

 

 

それは、一生続けられるような趣味を見つけること

 

 

私はこれまでの人生を思い返しても、今の今まで続けてきたようなことがありません。

何もかもを中途半端にこなしてきました。そしてそんな自分がとても嫌いでした。

 

 

「何か特技とできることがあればいいのになぁ」

「胸張ってこれができます!と言えるようなことがあったらなぁ」

 

 

と考えていたのですが、考えているだけでは何も始まらないことに気が付きました。

時間は有限なものです。そう考えている間にも1分1秒過ぎていってしまう。

始めるのに遅すぎるといったことはなく、始めれば始まります。

 

 

「人生の中で一番若いのは今だ」

過去には戻れませんから、後悔ばかりしていてはだめなのです。

今始めるのがこれからの人生の中で一番早いスタートとなります。

 

 

そのような考えで去年から始めた趣味が2つあります。

私の趣味のご紹介をする中で趣味を見つけることの利点を考えていきます。

 

 

なぜ趣味を見つけるのか

そもそも趣味とは何か。

趣味とは「仕事や職業ではなく個人が楽しみとしている事柄」を指す。

つまり趣味を見つけるとは、「自分が楽しめることを見つける」ということなのだ。

 

 

また、このような定義もある。

「人間 が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと」

ただ楽しかったからよかったと1回で満足してしまうのではなく、楽しいから繰り返し習慣として行うことを趣味と呼ぶのだ。

 

 

このことから、趣味があるということは人生を楽しむことができる事柄があるということになる。更に、習慣として行うことができる事柄なので落ち込んでしまったり不安で落ち着かなかったりしたときに気分をリフレッシュしてくれるものにもなるはずだ。

 

 

趣味=気分転換アイテム

 

ととらえることもできるだろう。

こう考えると趣味を見つけることの大切な意義を理解することができる。

 

 

 

どんな趣味がいいのか

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私自身も趣味を何にしようか迷った。

もともと歌うことが好きなので、カラオケには週1ペースで行っていたことはある。

確かに習慣化された好きなことなのでカラオケが趣味と言ってしまうこともできるだろう。

 

 

しかし、だ。

私は更に面白みを求めた。

 

 

「趣味は何ですか?」は初対面の会話では定番の質問である。

そこで「歌うのが好きなので、カラオケですかねぇ」だなんて面白みがないじゃないか。

 

 

もともと正規留学という変わったことをする人間なので、人と同じということを如何せん好まない。

 

 

何か少し変わったことで、楽しめること…他人との会話の糸口になりそうなもの…

というのが私が趣味を見つけるときにプラスした考えだった。

 

 

どんな趣味がいいのか、という端的な質問には「自分が楽しめること」や「続けられそうだと思うこと」というのがアンサーになりうるかもしれない。だが、今までやったことがないことで楽しめそうなものを見つけるのであれば、視野を広くして一度ネットなどで探索してみるといいだろう。

 

 

 

私が見つけた趣味

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ここで私自身の話に戻ってみる。

先ほど私はカラオケが好きだがそれを趣味というには少々捻りが足りないきがすると話した。

 

そこで私が始めた趣味を一つずつ紹介していく。

 

 

1. ウクレレ

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このコロナ禍で、大好きなカラオケにもなかなか行きづらい世の中になってしまった。そこで、私はそれなら一層のこと自分で伴奏をしてみることにした。

 

 

ただし、ここで頭に過ることがあった。それは幼少期に習わされていたピアノのことである。3歳ごろからピアノを習わされていたのだが、どうしても好きになれなかった。音符を細々読むのが性に合わなかったようだ。

 

 

ピアノに関しては残念ながら適性が見られなかったので楽器を始めることに多少不安があった。そのため、ピアノ類は初めから除外されていた。

 

 

ギターは昔からしてみたかったのだが、独学で始められる気がしなかった。

そこで私が目につけたのが「ウクレレ」だった。母が以前ウクレレを習ってみたいと言っていたことが思い起こされたのもある。

 

 

私は初めウクレレに関してちょっとした偏見を持っていた。

ウクレレはハワイアンな曲しか弾けないと思っていたのだ。もし、このブログを読んでいる方でそのような考えを持っている方がいるとしたらウクレレの魅力について少し語らせていただきたい。

 

 

私はウクレレに興味を持ったにあたって、少し調べてみた。

まずはどのような曲を弾くことができるのか。これは文字で説明するより見ていただいた方が早い。

 

まずは「ソロウクレレ」といって、ウクレレ自体がベース音を奏でる弾き方を指す。

簡単に言えば、伴奏ではなく「ウクレレが歌う」という表現が適切なのではないだろうか。


www.youtube.com

 


www.youtube.com

このような感じでJpopもウクレレで演奏することが可能なのだ。

 

 

ただ、私が弾きたい弾き方はこれではなく、伴奏としての演奏だった。

もちろんメロディのみを弾くこともできる上に初心者だとそちらの弾き方の方が難易度が低く始めたてでも比較的すぐに習得することができる。


www.youtube.com

 


www.youtube.com

 

4つか5つほど基本コードを覚えればある程度楽しく伴奏を弾くことができるので、ハードルはかなり低い。ピアノには向かなかったが、ウクレレは今のところ楽しく練習することができている。

 

 

このように小さいボディで様々なタイプの曲を奏でることができるのがウクレレの最大の魅力なのではないだろうか。

 

 

次にウクレレといったら小さくて茶色いボディをイメージすると思うが、実はかわいいデザインのウクレレがたくさんある。

特に私がお気に入りのメーカーはアルゼンチン発祥のBambooというメーカーだ。ウクレレだけでなく、ギターも作っているこのBamboo。とにかくデザインがユニークだ。

 

 

実際に楽器屋さんにウクレレを買いに行ったときに店員さんに

「毎日見てテンションが上がるデザインがいいですよ。あ、弾きたいなって思わせてくれるような音やデザインがおすすめです。」と言われた。

 

 

そこで私はその時その楽器屋さんで一番派手なウクレレを購入することにした。

私が実際に購入したのがこのウクレレ。

 

そのほかにもこのようにユニークなデザインのウクレレがそろっている。

 

ホームページにはまだ日本に上陸していないデザインのウクレレも発見することができる。BambooはInstagramもしているので気になる方はチェックしてみてほしい。

 

 

それからウクレレは音も小さく出すことができるのでその点も気に入っている。

このように生活の中にウクレレを取り入れることで外出しなくても趣味に浸ることができるようになった。

部屋の片隅のスタンドに立てて置いていることで、一人暮らしの相棒のような雰囲気を漂わせてくれていることもポイントの一つかもしれない。

 

 

 

2. 料理教室

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きっかけはふとしたこと。

友人とふらっと近くのモールに寄ったときのことだった。

「これ気にならない?やってみたい。」と言い出したのは私ではなく友人だった。

 

私たちが立ち止まったのは、可も有名なABCクッキングスタジオの前だった。

立ち止まって体験のメニューを見ていると、スタッフの方が話しかけてくれ、その場で体験の予約を取って帰った。

 

仕事柄、体験をするということの先に入会が待っていることは理解していた。

それでも、身を任せてまずは体験を楽しんでみたいという気持ちが勝っていた。

何事も経験、何事もご縁だと。

これは私が留学生活で学んだことの一つだ。

 

 

当日になり、体験はとても楽しく終わった。料理は初心者といってもいいほどで、野菜の切り方や細かな扱い方など丁寧に教わることができたことに高揚感を感じていた。

 

 

料金やスタジオの説明を聞き終わったころにはもう私は入会することを決めていた。

料理の基礎や技術はこれからの生活にも絶対に役立つ。今しっかりと学んでおくことが将来のためになると思った。それに、日々の生活でも自分でおいしく作れるならそんないいことはないと考えての決心だった。

 

 

友人は結局続けなかったのだが、私は今も楽しく通っている。

料理とパンのクラスを受講しているのだが、日々の息抜きにもなりさらに技術も学ぶこともできとても満足しているし、あの時の自分の決断は間違っていなかったと心から思う。

 

 

 

これからチャレンジしたいこと

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細々した趣味を取り上げるとキリがないが、大きく紹介するとこの2つが今の趣味と言える。

 

ただ、私は好奇心が非常に旺盛なので次から次へとやりたいことが出てくる。

その中でも小さいときからずっとしてみたかったが、挑戦してこなかったことがあった。

 

それは「ダンス」である。

音楽が好きで体を動かすのが大好きな私にとってこれほど魅力的な運動はなかった。

体育祭や運動会でもダンスを練習するのをとても楽しんでいた。

にもかかわらずなぜか今まで始めることがなかった。(なぜかはわからない)

 

 

そこで次に挑戦したいのはこの「ダンス」

つい先日思い立ってさっそくダンススタジオの見学をしてきた。

社会人の初心者クラスでは様々な年齢の方がダンスを楽しんでおり、初心者の私もなじめそうな感じがした。

 

 

その場で入会しなかったのは、クレジットを受け付けていなかったからだ。

現金をもっていかなかったことを非常に後悔した。

チケット制なので気軽に通えそうだったのもそのスタジオに入会しようと決めた理由の一つだった。

 

 

これからもやってみたいことはできるうちにチャレンジしていく予定だ。

それがきっと私の人生の楽しみ方なんだと思う。

 

 

まとめ

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このまえEmily in Parisという海外ドラマを見た。

その映画の中でフランス人の会社員たちがランチしながら言い放ったセリフがある。

 

 

「僕たちは生きるために仕事をしているんだ。

仕事をするために生きているんじゃない」

 

 

確かに。としか言えなかった。

心から納得した。

 

 

仕事を一生懸命にするのはとても大切なことではある。

ただ死ぬほど思い詰めてまですることではない、と私は考える。

 

 

私みたいにまだ社会人経験の浅い者が言うのはおこがましいかもしれないが、きっと私はこの考えを変えることはない。本当に死にそうになるくらいなら辞めればいい。

 

 

私は、お金を稼ぐことに執着したくはないが自由に人生を楽しむ程度には頑張って稼ぎたいと思う。やりたいことがやりたいときにチャレンジできるように。何か機会を逃さないように。生きてるのって楽しいと思えるように。

 

 

それを手助けしてくれるのが趣味だとも言える。

例え仕事でうまくいかなくても、何かしんどいことがあったとしても「これをするために頑張ろう」とか「私にはこの楽しみがあるんだから」とか「この特技があるから」とかなにか上を向かせてくれるきっかけになるのが趣味。

 

 

私はそう思うのだ。

簡単に言えば、「楽しいことがあればやっていける」ということ。

人生一度きり。それならば思いっきり楽しもう!

 

 

最後に

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【動物マメ知識編】馬ってどうやって水を飲むの?

こんにちは、来音です。

 

密かに前の記事から1か月ほど空いてしまったのですが、あえてそのことには触れないことにします(笑)

 

この前仕事でポニーさんと同行していた時のこと…

とある小さいお子様連れのお母さんにこのようなことを質問されました。

 

「馬ってどうやって水を飲むんですか?猫とか犬は舌を使って飲みますよね!」

 

確かに言われてみれば水の飲み方に注目してもらったことないのでは…!!

 

そこで今回は馬の水の飲み方についてご紹介しようかと思います。

 

 

馬は1日にどれくらい水を飲むのか

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馬の種類にもよるのだが、今回はサラブレッドについて話していく。

サラブレッドは一日に約20~40リットルもの水を飲む。

 

ご存知の方も多いかとは思うが馬は人間と同じように運動をしたり、暑かったりすると汗をたくさんかく生き物である。また、体も大きいため大量の水を飲むのだ。

 

その点では犬や猫とは異なる。犬猫は体の表面から汗をかくことができない。彼らは口呼吸を通して体温調節を行う。唯一犬猫が汗をかくことができる箇所は肉球だ。

参考までに犬の飲水量は40-60ml/㎏、猫の飲水量は20-45ml/㎏と言われている。

 

どの種類も夏の暑い時期は人間と同じく熱中症には気を付ける必要がある。

 

 

馬の水の飲み方とは??

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馬がどのように水を飲んでいるのかご存知だろうか。冒頭にも少しお話した通り、あまり注目してみたことがないのではなかろうか。

 

ここでも我々の生活に馴染み深い犬猫と比べてみよう。

犬や猫は舌を裏側に丸め、お玉ですくうようにして水を飲む。よくよく観察すると分かるのだが、猫の場合は水の表面からすくい上げるようにして飲んでいる。一方で、犬はボールに水が入っている場合、猫よりも深く舌を付けて水を飲む。

 

それではここからが本題である。馬はどうやって水を飲むのか。

馬は水を吸うようにして飲む。人間と似たような水の飲み方だと言っていいだろう。

ストローで水を飲むような感覚と似ている。

 

一度にたくさんの水を飲むので、ごくごくとのどが動くのが見て取れる。

 

 

夏は馬も電解質を取ることが大切!

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やはり汗をかくということは塩分も失われていくということになる。

人間も夏にはスポーツドリンクなど体液の濃度に近しい水分を取ることが必要になるだろう。馬も同様である。

 

特に夏場の運動後は、塩分を補わなくてはいけない。どのように塩分を取るのが有効だろうか。

 

1. 塩分(食塩など)を飼い葉に混ぜて補給させる

2. 鉱塩ブロックを置いておく

3. 馬用のスポーツドリンクを与える

 

鉱塩ブロックを置き、馬が自分自身で舐められるようにしておく場合は反対に塩分を摂りすぎないように注意しておくことも必要になる。

 

 

まとめ

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これからまだしばらく暑い日々が続いていく。

動物はもちろん私たち人間もしっかりと水分を取ってこの猛暑を乗り切らなくてはならない。

また、ただ単に水分補給するだけでなく塩分も同時に取ることが必要である。

コロナに気を取られがちだが、熱中症にも気を付けて過ごそう。

今回の要点としてはただ一つ。

馬は水をちゅうちゅうと吸引するように飲むということだけである。

 

 

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ブログ更新しました!今回は、「馬と人の歴史」についてです。馬と人がどれくらい強い結びつきを持つのか改めて記事にしてみました。是非ご覧ください😊💕#馬#人間#関わり#深い#歴史#かわいい#動物#動物好き#乗馬初心者#ブログ#更新#動物好きと繋がりたい #昔から#仲良し

 

 

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【動物マメ知識】馬と人間の関わりはいつから?馬との歴史についてひも解いてみる

こんばんは、来音です。

 

 

先日たった2日間の休日で旅行に行ってみました。いつもならボーとして終わってしまう休日ですが、内容が盛りだくさんで一瞬一瞬を大切に過ごせた気がします。

 

 

2日間しかない休みでもしっかりと旅行を楽しむことができるんだと新たな発見がありました。やればできるもんだなぁと実感。とは言っても私に関してはずっと助手席係だったのですが。(笑)

 

 

来週の2連休も予定を立てて、充実した休日にしたいものです。

 

 

さて、今回は馬と人との関係性を明らかにしていきたいと思います。

 

 

というのも、私は仕事上お客様に「馬」という生き物をより理解してもらうために説明していかなくてはいけません。

 

 

馬と人が一体どれくらい昔から共存しているのか説明することによって、馬をもっと身近に感じてほしいと考え、今回ブログでも紹介することにしました。

 

 

それでは早速参りましょう!

 

 

 

馬と人の始まりは○○時代から!?

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馬の家畜化はなんと紀元前に遡る。中央アジアを筆頭に紀元前3500年頃から始まったと言われている。それまでは、馬は人間にとってただの狩猟の対象だったようだ。

 

 

世界的に見ると、実際に人間が馬に乗り始めたのは紀元前1500年頃。中世に入ると、ヨーロッパでは重種と軽種の間で交配をして現在存在している馬が作られ始めた。

 

 

因みに、馬の祖先として知られている「エオヒップス」は5500万年前に北米に現れたとされている。500万年前にはより速く走るため、現存している馬のように蹄を1つ持つ形に進化した。(=「プリオヒップス」)

 

 

日本に馬が伝わったのは弥生時代末期だと言われている。4世紀末ごろには既に乗馬が伝わっていたというのだから驚きである。軍事に用いられることが主流だったとされている。

 

 

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古墳の中には、馬をモチーフにした埴輪が首長と共に埋葬されていたことから、昔から馬がいかに人間と近い関係にあったかが分かる。

 

 

奈良時代平安時代と、多くの馬は人間と共に戦に駆り出され、戦ってきた。出土された馬の遺骨から、この時代の馬は体高120~140cmほどだと推測される。

 

 

今乗馬クラブで活躍しているサラブレッドが体高170cmであることを考慮すると、昔の馬はとても小柄だったようだ。

 

 

明治大正になると、馬匹改良が行われて日本在来種の数が減少する。馬の種類はその用途によって改良がなされ、いまでは200種類以上が存在している。馬は農耕や輸送手段などとして我々の重要な動力源となってくれていたのだ。

 

 

ずっと昔から私たちの暮らしは馬と共にあった。実のところ、馬無くしては人の歴史は語れない。

 

 

 

現代では機械の発達により、馬と接するのは乗馬クラブや競馬中継などごくわずかに限られている。昔は猫や犬と同じくらい身近な存在だったのに、このように考えるとなんだか寂しいような気がしてくる。

 

 

 

ウシや豚も家畜なのになぜ馬だけ愛玩動物のように扱われるのか

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家畜化は何も馬だけに限ったことではない。牛や豚、鶏なども昔から家畜として飼われてきた。それなのに、なぜ馬だけ特別扱いされてきたのだろうか。

 

 

それは、馬が単に「走るのが早い」ことや「力が強いが穏やか」なことだけが理由ではない。最大の理由はやはり彼らの知能指数にある。

 

 

馬は牛や豚などの他の家畜に比べて、知能指数が高い。中でも記憶力には優れているとされる。だから、よくお世話してくれる人を覚えることもできるし、調教することもできるのだ。(賢いからこそ、コミュニケーションをとる際に気をつけなくてはいけないことも多々ある。)

 

 

これが、馬が人間のパートナーである所以である。よくよく観察してみると馬の感情は人間に近しいものがあることも分かってくる。

 

 

なにより彼らの瞳は純粋で美しく、しっかりと意思があることを物語っている。

 

 

まとめ

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馬がどれほど長いこと人間と共に歴史を歩んできたのか分かっただろうか。

 

 

今でこそ、馬と触れ合う機会は減っているわけだが、これからもきっと様々な場面で馬は人間を支えてくれる。

 

 

私たちと馬との関係は切っても切れないものなのだ。ということで、是非乗馬クラブにも遊びに来てほしいものである。🐎

 

 

 

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