矛盾留学生、来音の記録〜動物科学科の先〜

アメリカに4年間正規留学し、動物科学を学んできた来音が知識を生かして就職するまでとした後の日々の記録。

【アメリカ正規留学①】初海外が正規留学!カリフォルニアのサンフランシスコ空港に到着

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こんにちは,来音です。

それでは前回約束した通り今日からの投稿は留学生活を少し振り返っていきたいと思います。

 

これから留学を考えている人はもちろん,留学までは行かなくてもコロナ禍で海外に行きたくても行けない人に少しでも他国に触れ合ってもらえるような楽しい記事にしていきます。

 

それでは,今日はまず私が留学に踏み切った経緯と実際にアメリカに向かう時の状況や心境をお話しします。

 

留学した経緯に関してはこのブログの一番初めの投稿にも書いています。

詳しく知りたい方はぜひ読んでみてください。

 

こちらです☟

アメリカ留学した理由と経緯 - 矛盾留学生、来音の記録〜動物科学科の先〜

 

 

留学した理由は挫折

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タイトルをみて分かる通り私はいわゆる「大学受験からの挫折」で留学した。

一番ダメなタイプの留学の仕方。

 

ネットなどで留学や大学受験などに関して調べてみると,日本の大学受験に失敗して留学してもろくなことがないと記されていることが多い。

 

何故なら,そんなふうに逃げるようにして日本を後にした学生は例え海外に出たとしても最後まで頑張ることができないと考えられているからだ。それも一理あるというかそう考えられてもおかしいことではない。

 

逃げるように留学しても夢もなければ頑張る気力さえなくなるのは当然。

 

しかし,私の場合はその点は当てはまらなかった。夢がないわけではなかったし、学びたいことも明確だったからだ。

 

「入りさえしたらその学校でトップになれるのに。どうして入れなかったんだ。

 

アメリカで獣医学を学んで必ず証明して見せる。海外で例え言葉が違っても優秀な成績で卒業してやる。」

 

と何故か燃えていた。というか合格できなかった自分にも高校まで優秀な成績をキープしてきた私を落とした大学にも腹が立っていた。

 

もっとも獣医学部自体は推薦でしか受けないという舐め腐った受験を経験したわけなのだが。

 

母には自信過剰すぎるとよく幼少期から注意されていた。案の定,こう泣きながら言った時も

「あんたのその自信過剰すぎるところもアメリカで少し削ってもらってきなさい」

とお叱りを受けた。

 

それでも,母は私が立ち止まらずに進んでくれることに内心安堵したところもあったのではないかと思う。

 

結局のところ,アメリカの大学でもオールAで無事首席で卒業できたので過剰すぎる自信は削られることがなかったのだが,まあその話はまた今度にしよう。

 

これがなんとも情けない,私が留学に踏み切った理由だ。

 

ここに書くのも恥ずかしいのだが,もう嘘をつくのにも疲れたので記録させてもらう。

 

 

どうやって留学したのか

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大学には合格するだろうと舐め腐っていたので,私立も滑り止めも受けていなかったしそれを注意してくれるメンターも私にはいなかった。

 

つまり,一回失敗するともう行くところがなく浪人するしかなかった。

 

そこにまさかの専門学校という選択肢が出てきた。

 

ただの専門学校なら行くつもりは全くなかった。

 

しかし,留学準備として1年間通いその後そこで取った単位をアメリカの大学に移行することができるという外語専門学校を締め切りギリギリで母が見つけてくれた。

 

「アメリカに行ってみるのはどう?やりたかった獣医学も学べるみたいよ」

 

なんていい母親なんだろう。

 

正直日本から出るなんて面倒くさかったし,海外なんか行ったこともなくて怖かった。

 

でも,立ち止まっているよりか幾分かましに思えた。それに幸い英語は大の得意だった。

 

あまり乗り気ではなかったが,このタイミングでギリギリ見つかるなんてしかも大学の学位が貰えて獣医学が学べるなんて行くしかないと思った。なんて浅はかな考え。

 

この時の私には「浪人する」という覚悟や選択肢がまるでなかった(笑)

よく考えるとぶっ飛んでいて非常に私らしい。

 

この選択で私の人生は大きく変わるのだが,今となっては何物にも変え難いかけがえのない経験になったことは間違いない。

 

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そこで大阪にある外語の専門学校に1年間通うことになったのだった。

 

基礎的なスピーキングやTOEFLを取るための文法の授業を受けた。

 

手続きや大学選択もその学校でサポートしてもらった。

寒いところは嫌で,学費もそんなにかけたくない。

なおかつ動物の勉強ができるところというこれまた浅すぎる条件で大学を探した。

 

在学中にTOEFLを3回受ける機会があったのだが,1回目で合格点を取ってしまいその点に関しては語れるほどの苦労をしなかった。

 

コツなどをできれば書きたいのだが,リスニングはほぼ聞き取れず寝ていたし,長文も大学のテキストから取り出したような難解なものであまり読めなかった記憶がある。

 

ただ文法だけはなんとなく得意だったのでそこで満点を取ってなんとか稼いでいたような気がする。

 

TOEFLの内容なども興味がある人がいればまた別記事に書いてみたい。

 

この在学中に困ったことが1つある。

周りは「留学したい!海外が大好き!」という子たちばかりで少し辛かった。

 

私は逃げ道として留学を選んでいたので申し訳なく感じていた。

 

「どうして留学しようと思ったの?」

と質問されることが今も度々あるのだが,本当に困る。

 

今は正直なことを言えることも増えたのだが,当時は周りに正直に話すことに気が引けた。

 

「動物学がアメリカだと有名で最先端の知識を学びたいと思ったから」なんて綺麗事をそれからかれこれ4年ほど口にしなくてはいけなかった。まぁ間違いではないのだが,本心でもない。

 

こんなふうに,私はギリギリで外語専門学校を見つけそこで手続きをサポートしてもらい,留学に至った。

 

因みに,その専門学校には国際留学科の中にも奇跡的にアニマルサイエンス学科というものがあったのが救いだった。

 

それにより,スムーズに留学が進んだところはある。

 

 

サンフランシスコ空港到着から始まった留学生活

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8月の終わり頃だっただろうか。とうとう出国の日が来た。

 

もちろん外語には同時期にカリフォルニアの大学に行く生徒はいたのだが,全くの同日の同時刻同フライトで行く人はいなかった。

 

羽田空港までは母が見送りに来てくれていた。

私は平気だという振る舞いをしていたのだが,内心とても心細かった。

 

この1年間この日を夢見て過ごしてきた学生生活だったが,当日になると1人で異国の地へ降り立つことに恐怖心を抱いていた。

 

空港のレストランで最後の食事を取った。

その時に母が2冊の手作りアルバムをプレゼントしてくれた。

 

1つは今までの思い出の写真と家族全員からのメッセージが入ったもの。

 

そしてもう1つは私の出身地の風景と京都に旅行に行った時の写真。

 

出身地の写真は私がこれから過ごすホストファミリーに私の育った場所がどういうところなのか紹介できるようにと作ってくれたものだった。

 

正直泣きそうだったのだが,それでは励ましてこの日まで支えてくれた母に心配をかけてしまうと思い,いつも通り

「全然平気だから。向こうでも楽勝でいい成績とってくるし心配せんで。そんなになよっちくないから!」

と告げて出国ゲートを後にした。

 

よく小説などで『もう後戻りはできない。振り返ってはいけないと感じた。』というような表現を目にするが,まさにそれだった。

 

きっと母は私が見えなくなるまで手を振ってくれている。

 

でも,いつまでも振り返ってしまっては気持ちを強く前へ進めることができないと思った。

 

背中を向けることで,安心させたかった。

 

自分なりにかっこよく去ったつもりだったのだが,後からその時の写真を見ると体の大きさに似合わないほどの大きなリュックサックを背負っている様子は新小学生がランドセルを背負っているようでなんとも滑稽だった。

 

そこからだ。もう崩壊。(笑)

まず10時間も飛行機に乗ったことがない。

 

飛び立ったのは良かったが,地面を機体が離れ斜めになって加速していく。

その瞬間に日本から徐々に離れていくのを身を以て感じ,不安も一気に増した。

 

今からいく場所には家族はもちろん知り合いも友達もいない。

 

言葉さえ違う。そんな場所に1人で行って本当に大丈夫なのか。

 

そのうちに機内の電気が消された。同時に涙があふれる。

 

あぁ,こんな思いするなら留学するなんて言わなければ良かった。

 

日本を離れて数十分でそんなことを思ったなんてせっかくこんな機会を与えてくれた家族には死んでも言えなかった。

 

アメリカへの距離の方が近くなるに従って,落ち着きを取り戻しすぐにケロッとして機内食を食べる性格で本当に良かったと思う。

 

サンフランシスコの現地気温がアナウンスされるころにはやる気に満ち溢れていたのだから我ながらなんて適応能力に優れているのだろうと感心した。

 

その気持ちも一瞬にして打ち消されてしまうのだが,飛行機を降りる時の足取りは軽やかなものだった。

 

 

いや,待って…今なんて言ったの?

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入国審査のいかつい検査官の質問はなんとかクリアした。

 

と言っても今考えると確実にカタコトだったと思う。

 

一度じゃ聞き取れなくて,

Excuse me?とかCould you say that again please?とか

いくらでも聞き方はあっただろうに

What?

と言ってしまい,注意されたのがものすごく鮮明に印象に残っている。

 

そんなのはまだまだ序の口で,ここからが本当の試練だったなんて当時の私は知る由もない。

 

サンフランシスコ空港の到着ロビーには,現地の人が迎えにきてくれている予定だった。

 

なんて名前のどんな人が迎えにきてくれるのかしっかり聞いておくべきだったことを反省している。

 

到着し,荷物を受け取り出てくると,たくさんパネルを持った人が立っていた。

 

自分の名前のパネルを持っている人がいるのかと目を凝らすのだが見当たらない。

 

戸惑ってウロウロしていると,日本人の現地スタッフが声をかけてくれた。

「お名前は?」

もうすでに日本語が恋しい気持ちに苛まれながらも自分の名前を言うと

「あー,さっき見たな。その人なら今トイレに行ったよ。すぐ戻ってくると思う。」

 

その日本人スタッフの言葉を信じて数分ロビーで待っているとフレンドリーな白人のおじさんが近寄ってきた。

Are you Raine?

ととりあえず名前を聞かれたのを記憶している。

 

イエスイエスと言いながら安堵してこっちと言われるがままにおじさんの跡をついていく。

 

その時におじさんがニコニコしながら色々話してくれたのだが,内容がまるでわからなかった。

 

あんなに得意だったはずの英語が何もわからないことに絶望した。

 

マクドナルドとハンバーガーという単語だけわかった気がする。それ以外何も,本当に理解できなかった。

 

そして,あんなホイホイ知らない人について行ったのも信じ難い。

 

私はおじさんの名前も聞かなかったし、本当に私の進学予定の大学から来ているのかも確認した覚えはない。

 

そのことを不安に思い始めたのは空港から車で1時間ほど走り出してからなのでそれほど動揺していたということだろうか。

 

まっすぐ向かっているのか道が本当に合っているのかもわからずただただ周りの景色に圧倒されていた。

 

森のような場所を走り始めた時は無事にたどり着くのか焦り始めた。

 

携帯電話もまだ使えない状況だった。最悪の場合も考えた。

 

途中ガソリンスタンドで給油したのだが、そこに併設されているコンビニでおじさんはクッキーとジュースを買ってきてくれた。

 

アメリカの、大きくて柔らかくてそしてとんでもなく甘いクッキーを食べたのは多分それが人生で初めて。

 

そのあと謎に車を乗り換えるという事態が発生したのだが、その理由はその時の私には尋ねる能力がなかったので永遠に不明のままである。

 

日が暮れる頃には、目的地のホームステイ先に到着していた。

 

途中疑って悪かったが、おじさんはただのいい人だった。

 

 

波乱万丈の幕開け

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そんなこんなで私の4年間に渡るアメリカでの留学生活が始まった。

 

私は最初の2年間をMercedというカリフォルニアの小さな田舎の街でホームステイをして過ごし、最後の2年間はそこから南に少し下ったところにあるFresnoという中都市で大学の寮に入って学生生活を送った。

 

その初めの2年間が私にとってものすごく濃い時間だったように思う。

 

勉学以外で学ぶことがとても多かった。日本以外で暮らしたことがなかったのでそれなりにカルチャーショックもあった。

 

でもいいのか悪いのかとにかく適応能力が高いので、戸惑いつつもすぐに納得して溶け込んだ。

 

そのため、ホームシックを感じたことはあまりない。

 

確かに日本食は恋しくなることもあったのだが、住んでしまえばそれなりに気に入った。

 

大変なこと8割楽しいこと2割くらいの生活だったはずなのに、今思い返すと美化されていることに驚く。

 

アメリカでの暮らしはまた次の記事に記すことにする。

 

次はホームステイ一発目にショックを受けたところから話すことにしよう。

 

 

 

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